degreeeのブログ

Apexとfgoと崩壊3rdとvalorantと原神とジャンプとNetflix

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TGS2019 2日目

帰って来ていろいろダラダラしてたら2日経ってましたね。夜行バス、眠れたと言っても一時間に一回は休憩で起きてますからね、ちゃんとした睡眠とは言えない…ナポレオンでもあるまいし。ネットニュースか何かで「半端な睡眠は徹夜と同じ」みたいなのやってたし、やっぱぶっ続け7〜8h寝ないとダメなんだろな〜って思いました、まる



まあ私事情はここら辺にして、TGS2019 2日目、振り替えってみますか。

1日目と同じくらいの時間に出発したら、前日と同じくあまり混まずにスイスイいけましたね。行列に並ぶことはなかったです。
展示やら何やらは1日目で全部見ましたからね、幕張メッセまで歩いている道中は余裕からあくびしてました笑

メッセに入っても「まぁ昨日と同じだな〜」って感じでした。展示見たいだけなら1日だけで充分ですね。

まぁ今日の目当ては展示や試遊ではなくイベント観覧なんですが!!!


DetonatorのApex…待ちに待った大一番ですよ!!!
いつもtwitchで画面越しに見てる光景を生で見れる!これを生き甲斐に今日まで生きてきた!!

お部屋改造計画の終わり際に会場に到着し、まさるの部屋をダラダラ見続けていたら人もまばらになっていき、最前列を確保できました❗❗👏

いや〜目の前に人がいないっていうのは良い景色ですね笑 ちゃんと空気も通るし、何より体臭きつい人がいない笑
40〜50分立ちっぱなしで待ってたおかげで足に来るのはなかなかでしたが、これからのお楽しみに比べれば安いものです。


そうして始まるapex、



『来てよかった…🤣』


関さんが、いつもクソカスゴミ💩ち◯ち◯とか罵倒してるLstar拾っていくのは笑いましたねw しかも二丁持ちしていくという暴挙w 流石魅せていくプロストリーマーの鏡。
クレーバー当てただけで子供の運動会並に盛り上がる会場、エンジン回していくアスパラ、プレイだけではなく会場の一体感も良かった。

そして釈迦さん、、、上手いっすね😲
多分detonatorの中で釈迦さんが一番上手いと思う。G7の当て感が半端ない。

個人的なdetonator4brの枠組みとしては、
釈迦さん→上手い
やまとんさん→ツッコミ枠
関、高橋→ボケ、幼稚園児

という感じですね。幼稚園児組はこの間までおしゃぶりしてたから、まだ抜けきってないのかな?(暖かい目)


いつも配信で見てる人達はこんな感じでやってるんだ〜、と感慨に耽っていましたね。その内なんだかいつもの光景過ぎてありがたみとか無くなって来ましたね笑 家に居たら「充分見たからチャンネル変えよう」ぐらいでしたね。


そんなこんなでapexが終わり、ジャンケン大会もし、僕は帰路に着きました。
今年初めてTGSに参加してみた訳ですが、まぁ〜来年も行きたいっすね。僕が普段暮らしている所は空気と水が美味しいだけの田舎なんで、こういう、人が沢山集まる場に来るのは新鮮でとても良い刺激になりました。
記事ではほぼTGSにしか触れていませんが、いろいろご飯も楽しんでいました。天丼で有名な金子半之助、カップ麺食べて衝撃を受けた蒙古タンメン中本、いきなりステーキ(当地区には無い)等、美味しかったです。帰りにお土産で買ったねんりん家さんのバウムクーヘンも美味でした。

もともと食べ物込みでの東京旅行でしたが、、、


もう一回行きてぇ…


なんていうか…帰ってくると建物低さ、若人の少なさ、センスの無さ、に愕然とするんですよね…(^^;

もちろん田舎には田舎の良さがあります。電車は込まないし、空気と水綺麗、夜静か、景色が良い等、いろいろあります。私自身それをデメリットとして受け取ってもおらず、寧ろ風情を感じて楽しんでいます。

ただ…………感性がおじいちゃんになってないか?


心のどこかで諦めを享受していた気がします。華やかな生活、最新最先端の物に囲まれた暮らし、競争を勝ち誇る優越感、くだらない物として捨て去っていった感じがします。
もちろん、程度は大事です。何もかも望み過ぎれば破滅するのは理解してます。

ただ、それ以上に私は望まな過ぎたのかもしれない、と。

夜歩いていてすれちがった若いサラリーマン、とても楽しそうに見えました。仕事が終わり解放感から同僚と飲みに行く、それだけでも"ここ"とは違う光景に見えました。
正直周りで働いている人達って、「面倒、億劫、疲れた」そんな雰囲気が滲み出ているんですよね。生活の為に仕方なく、他にあても無いからしょうがなく、そんな諦めと妥協ばかりだと思います。

そんなんで人生楽しいんですかね?
必要不可欠なこと、っていうのはわかる。でもそれでいいのか?国が、一般意識が定めた幸せの規範にのっとり、あるか無いかもわからない幸運にすがって生きる。そんなGDPに貢献するだけの奴隷でいいのか?

無論周りが思い描くような、普通に就職して普通に結婚して普通に子供出来て普通に死ぬ、これも幸せのありかたの1つだと思う。でも、本当にそうなのか?
社会一般としての在り方は必ずしも個人一人一人に当てはまる訳では無い。何が言いたいかというと、1つの『最適解らしい物』に執心しすぎなのでは?

気づいたらどこかの『国』の『国民』である以上考えたことはないかもしれないが、私達は『国民』である前に『人』だ。『人』は本来、人種も国境も価値観も、隔たりなく自由なものだと思う。
そして『国』とは、そんな自由な人達の受け皿となる場所であると思う。

ネプテューヌの世界なんか割と理想なのでは?と思う。人民皆が推しの為に生き、恩恵を授かる。趣向が変わればまた、別の推しの国で生きていく。


私達は世界を知らなすぎるのではないだろうか?探せば、今より良い場所、自分に向いている場所がある筈なのに、それをしなさ過ぎているのではないか?



なんかTGSのこと書こうと思ってたら脱線しまくってたのでここで終わり、閉廷!